設立者について
深澤 彰(ふかざわ あきら・故先代社長)
- 明治43年4月1日
- 茨城県行方郡麻生町生まれ
- 昭和5年3月31日
- 福島高等商業学校(現在の福島大学経済学部)卒業
- 同4月1日
- 川崎貯蓄銀行・名古屋支店入行
- 昭和19年4月
- 佐倉聨隊で北支派遣。戦争を経験
- 昭和22年8月23日
- 『第一産業株式会社』設立。
(昭和25年に社名を『第一薬品産業株式会社』に変更) - 平成元年6月23日
- 肺炎呼吸不全で死去
沿革
この頃は行きの汽車賃のみにて出張。
取引先の集金により帰りの切符を賄う財政状態でした。
- 昭和22年(8月23日)
- 『第一産業株式会社』設立
本社:日本橋江戸橋2-3
工場:船橋市海神5-2370
消毒薬クロルカルバクロールを駆虫薬として製造販売。【時代背景】
敗戦直後の物資のない時期における劣悪な衛生状態。人・動物の体内外の寄生虫の寄生が当たり前。 - 昭和24年
- クロルカルバクロール+海人草エキス製造販売、畜犬用のカルバクロール発売
- 昭和25年
- 社名を『第一薬品産業株式会社』に変更
- 昭和26年
- 肥料の脱臭、殺鼠を目的とした『デサント』の製造販売
【時代背景】
食糧不足で農作物栽培が盛んであった - 昭和27年
- 犬猫のノミとりポピードライシャンプー発売
【時代背景】
東京都の学童の内部寄生虫寄生率43.7%
この当時、ヨウレチンはバセドウ病、その他ヨウ素を必要とする諸疾患の治療薬として、主に内科領域で使用されていました。
- 昭和28年
- 東京医科歯科大学内科 柳金太郎教授より、ヨウレチンの製造販売について依頼を受ける。
- 昭和31年
- 「ヨウレチン」錠命名、製造販売許可を得る。
- 昭和33年
- ヨウレチンが医療用医薬品として健康保険の適用を受ける。
昭和40年、PRの一環として、「病院を花のマークで明るく」をテーマにひまわりのプレートを眼科診療室へ寄贈しました。
- 昭和35年
- 眼科領域へヨウレチンの売り込み開始
- 昭和37年
- 設立15周年を迎える
- 昭和40年
- PRの一環として、「病院を花のマークで明るく」をテーマにひまわりのプレートを眼科診療室へ寄贈。
- 昭和44年
- 台湾へヨウレチン錠「50」輸出契約締結
- 昭和45年
- 日本橋2丁目に新社屋竣工
- 昭和50年
- 嗅覚事業着手(T&Tオルファクトメーター発売)
- 昭和52年
- 塩浜工場竣工
パネル選定用基準臭を悪臭公害関係部門に販売開始 - 昭和57年
- ヨウレチンリーフレット改訂
- 昭和62年
- 設立40周年を迎える
- 平成1年
- 代表取締役に深澤 修就任
- 平成7年
- 韓国へヨウレチン錠「100」輸出契約締結
現在ヨウレチンは大都市を中心に、中国全土で販売されています。
- 平成10年
- 中国へヨウレチン錠「100」輸出契約締結
第1回日中眼科共催セミナー実施(演者:玉井嗣彦先生) - 平成18年
- においスティック(OSIT-J)製造販売開始
第2回日中眼科共催セミナー実施(演者:井上治郎先生) - 平成19年
- ヨウレチンリーフレット改訂
- 平成20年
- 製造業許可更新に向けた塩浜工場大改修工事
- 平成22年
- 嗅覚トレーニングキット(一般向け)販売開始
ヨウレチンリーフレット改訂 - 平成23年
- 第3回日中眼科共催セミナー実施(演者:小口芳久先生)
- 平成24年
- 代表取締役に深澤 陽一郎就任
- 平成25年
- ヨウレチンリーフレット改訂
- 平成29年
- 第35回日本小児心身医学会学術集会共催セミナー実施
設立70周年を迎える。記念行事の実施 - 平成30年(予定)
- 第118回日本耳鼻咽喉科学会共催セミナー
第59回日本神経学会学術大会共催セミナー